モモジリの旅

一回一回が大切な思い出

尾瀬燧ケ岳テント泊②

テント場に戻ったのはちょうど4時ころ。

友人が先に着替え、その間私は大江湿原散策前に浸しておいたお米の炊飯に入る。

コッヘルとバーナーで生米を炊き上げるのは難しいと思いがちだが、実はそうでもなかったりする。

お米とほぼ同量(気持ち多め)の水を強火にかける。
沸騰したら中身をかき混ぜる。←ポイント
ごく弱火にして、香ばしい匂いがするまで待つ。(10から15分くらい)
↑蓋がカパカパしたので石の重しを乗せた。
香ばしい匂いがしたら蓋を開けて確認。
さらに水気を飛ばすため3分。
15分ほど蒸らす。


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完成。
お米も無事に炊き上がったので、私も洋服を寛ぎスタイルへ。


さて。
今回のメインは焼肉。
凍らせて持参したお肉も、すっかり解凍。

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改めてビールで乾杯し、
家では買わない(買えない(笑))高価なお肉をホカホカ白米と一緒にいただく。

こんなに幸せでいいのだろうか(笑)


買いすぎたかな、と思った食材だったが、日がどっぷり暮れるころにはご飯すらも空っぽに(笑)
お酒もちょうどなくなったのが夜8時ころ,
宴たけなわ、片付けをし、就寝準備。
テント場から離れたトイレに向かう道すがら、見上げたのは満天の星空。

長蔵売店の前のベンチに寝転び、天の川まで見える空を堪能。
体が冷えることもなく、このままここで寝てしまいたいくらいだった。




翌朝は3時出発を目標に起床。
寒さに震えることもなく、本当に暖かく感じたのは湿度のせいだろうか。
公衆トイレは夜中中もずっと電気が点いていたようで、
明るいところで準備を済ませ、予定通り燧ケ岳へと向かう。


まっっっ暗の中、尾瀬沼沿いの木道をヘッデンの灯りだけを頼りに進む。

まっ暗なので写真は無い(笑)


生き物全てが寝静まっている、暗闇と静寂の中、星空に見守られながらナデッ窪分岐に着いたのは4時ころ。

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急登ということだけしかわからない道を進んで行く。
まだ暗い。
本当に、こんな暗闇の山の中へ入って行くなんて、非日常すぎて笑える。

大きな岩がゴロゴロした道を、ヘッデンの直径2メートルほどの灯りだけを頼りに進む。
噂通り急登だ。
登るほどに、なるほどそこは川の流れるような窪んだ場所なんだ、ということがわかってきた。
岩には苔も付き、滑りやすい。
大きな岩が続いて歩きにくいところも多かった。
後で調べてわかったことだが、ここは登山道の整備が入っていない道だそうである。

道標などももちろん無い。
先の見えない登り道が続き、何度も折れそうになる。
高度計だけが自分の位置を示してくれる。

やがて空が白んじてきた。
朝5時を過ぎたようだ。
振り返ると雲海と日光連山がくっきり。

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空の近さを感じたのでそろそろかと思いきや、
まだまだ続く岩流れの道。

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やっとてっぺんらしきものを確認。
あれは俎くらだろうか。

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なんとか尾根までたどり着き8合目長英新道との合流地点を過ぎると、
最後のひと登りの元気が湧いてくる。

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俎ぐら登頂。ものすごい風が吹き付ける。

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長居は無用。向かいに見える柴安ぐらを目指してさらに進む。



一度下っての登り返し。

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7時27分、燧ケ岳山頂到着。

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時折ふらつくほどの強風だ。

しかし、ハイマツの風除けを見つけ、そこでカップラーメンの朝ごはんにする。

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この風が、景色をはっきり見せてくれ、尾瀬が原、至仏山はもちろん、尾瀬沼の向こうには富士山までもその姿を現してくれた。

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気づいたら1時間ほどたち、慌てて下山を始める。
帰りは長英新道。

階段などが整備され、ナデッ窪との違いに驚き、平野長英さんにひたすら感謝する。

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緩やかなところまで降りて来たのが10時ころ。
標高も1800メートルを切った。

しかし長英新道、ここからが長かった(笑)
樹林帯で、ぬかるみの道を、赤テープとコンパスを頼りに歩く。

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沼の存在さえつかめない。

やっと木道が出てきた、と思ったのが10時45分。

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11時3分、公衆トイレに戻ってこれた。
長かった(笑)


12時まで、と言われていたテント撤収もゆとりを持って終え、
駐車場までの下山道を黙々と歩き、一ノ瀬からはシャトルバスを利用(笑)

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帰りは老神のほっこりの湯で汗を流して関越道に乗った。

燧ケ岳、想像より手強い山であった。

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