今回、初日は好天だが、2日目は雨という予報が出ていたので、
乗越から見上げる常念岳には、今日のうちに登っておこう、と決めていた。
必要なものだけアタックザックに詰め、午後2時、山頂へ向けてアタック再開。
もう重い荷物から解放されたというのに、仲間に追いつけないワタシ💦
ガレた道がつづらに山頂まで続いている。
ふと振り返るとテン場があんなに遠くに。
コースタイムだと50分ほどだったけど、
あれ?
すごく早く着いたんじゃない?
なーんて思ったらそんなはずはなく(笑)、
山頂、と思っていたのは実は“ニセ常念”(笑)で、
本当の山頂がまたはるか先に見えた。
ややガッカリして、そこで休憩。
気を取直して進む。
ここで、三俣からの登山道と合流。
山頂が近くなると石が大きくなっていき、
乗越から約70分、標高差約450メートル、
常念岳山頂到着!
山頂は噂通りとても狭く、また寄せ集まった岩場であり、なかなかスリリングであった。
先着の登山者に譲っていただき、シャッターまで押してもらって山頂証拠写真を撮影。
時刻は午後3時を回っていたが、ガスが上がることもなく、
360度の眺望を満喫することができた。
これだけ山が見えると、
満天の星空で星座を探すように(笑)、
山座同定が難しい(笑)。
しかし、
大天井岳のはるか先に、剣岳と立山連峰が見つけられた時はコーフンした(^^)
先着のおじさまと同行のグループの方々がパラパラと到着。
狭い山頂が混み合ってきたので、先に下山することに。
(実はこのあたりからケガをした右膝の調子が悪くなってきていた)
岩場の山頂からガレ場の登山道まで降りてくるとストックを再度準備して下りに備える。
登りでは気にならなかった段差が、下りとなるととても怖い。
ケガをする前の私は、登りより下りの方が得意だった。
しかし、靭帯断裂キャリアとなった今、下りの怖さをこんなにも感じるとは。
瞬く間に仲間から離されてしまったが、とにかく焦らないように、
ケガをした方の右足はもちろん、
庇って左足まで悪くなることが無いように
慎重に慎重に下山した。
約40分ほどで山小屋に到着。
ここで楽しみにしていた生ビールを注文。
無事下山できた安心感とは裏腹に、右膝は力が入らず、不安か残った。
小屋の方のご親切で、外の休憩場をお借りして乾杯。
山で飲む生ビールのなんと美味しいことか!
喉を鳴らして喜びを讃え合う。
しかしおかわりしたい気持ちをぐっと抑えて、
夜の宴会に向けてテン場に移動した。
それぞれ、着替えや食事の準備に取り掛かり、
なんだかんだで宴会がスタートしたのは午後6時になってしまった。
残念ながら夕焼けは見られず。
白菜のミルフィーユ鍋が出来上がるまで、フライパンで小籠包とみりん干しを炙ったりしながら、
それぞれ持ち寄ったお酒を楽しむ。
しかし、今夜は冷え込み、疲れもあって2時間ほどで就寝することになった。
夜中。
パラパラとテントに当たる雨音で目がさめる。
時刻は1時30分。
予報通り2日目は雨かー、と思いながら寝たり起きたりを繰り返す。
その間、雨も降ったりやんだり。
明け方になってやっと身体が暖かく感じられ、
外も明るくなってきた。
2日目は下山するだけだったので、
少しのんびりとしながら、
隣のテントで朝ごはん。
昨夜のお鍋の残りに、アルファ米をミックスした雑炊。
醤油で味を整えて絶品(^^)
弱い雨が降る中、撤収をして、
7時30分下山開始。
心配された右膝は、かなりダメージを受けていた。
曲がらなくなってしまったので、右足で着地、それを支えるために両手ストックで上半身を支える。
段差の大きい胸突八丁まではもちろん、その先の下山道も登りでは気にならなかった段差がとても困難だった。
下山は余裕が無く写真が無い。
…ので、先行した仲間が撮影したキノコなどどうぞ。
登りでは意識しなかったが、一ノ沢登山道、石がゴツゴツしていて歩きにくい(笑)
両足揃えて下りるため、ほぼ倍の時間をかけて、
午前11時、登山口に到着した。
途中、何度も膝に痛みを感じ、また靭帯を損傷してしまうのではないかとハラハラしたが、
なんとか降りて来ることができた。
しかし、私の膝も体力もここまで。
仲間が車を取りに駐車場まで行ってくれ、
私は登山口でその到着を待った。
2日ぶりのお風呂はこちら。
そぞろ歩きでお風呂を済ませ、気合いで水風呂にも入り(笑)、
食堂で遅いランチをいただきなから帰りの中央道の混み具合を確認。
どうやらこの天候のせいか、奇跡的に空いている。
チャンスとばかり帰路を急いだ。
ちなみに、階段の上り下りが手すりにつかまらないとできなくなってしまったワタシ、駅の乗り換えが非常に不安だった。
するとそれを察してくれた車の所有者の友人が、家まで送ってくれることに!
大変助かったのだが、彼女の帰宅は21時を過ぎてしまったそうだ。
本当にありがとう。
最後まで迷惑をかけてしまい、反省の多いテン泊登山となってしまった。